アメリカでの活動①(毎日新聞掲載記事 ’11)

NFLチアリーダーとして活動してみて一番始めに驚いた事は私の「井の中の蛙」度合いの高さでした。私は日本という先進国の大阪という大都市で、物質的にはとても恵まれた環境に生まれ、両親、家族に温かく囲まれながら育ちました。教育もしっかりと受けさせてもらい、大学卒業後は就職氷河期中にも関わらず順調に就職する事ができました。そんな自分に誇りと自信がありました。しかし渡米直後、その氷でできた「自信と誇り」という名のオブジェはあっさりとフロリダの強い日差しと言葉の壁という強力なパンチで、一瞬にして崩壊し解けてなくなりました。今も覚えています。ホストファミリーの家のリビングルームで床に座りながら、何度も自問した事を。単身渡米し、チーム初の外国人チアリーダーとして何もかもが手探り状態。留学生や海外赴任のような、大学や会社の後ろ盾もカウンセラーも人事部もありません。全部自分です。だけど、英語が話せないので、何も自分でできないのです。人に頼らないと何もできない、お金で解決できる事も、ほとんど報酬のないNFLチアリーダーには無理な話でした。電話一本とる事もできない、年相応の会話もできない、まさに25歳の赤ちゃんでした。こんな事になるとは渡米前には全く想像もしていませんでした。本当に言語や聴覚など、色んな障害を持っている方の苦労が少し分かった気がしました。自分は知能が低いわけじゃなくて、英語が話せないだけなんだということを相手に分からせたいのだけれど、それを伝える言葉が話せないんだから悔しい。意見を伝えられないから中身の無い「空っぽ人間」として扱われる事の繰り返しでした。

そんな中、個人社会の国といわれるアメリカ、黙っていれば誰も助けてはくれないけれど、なんとか必死に自分の思いや考えを伝える努力をするとその頑張りを素直に認めてチャンスをくれるアメリカに驚きました。そこには、常に辞書とメモとペンを持って歩く私に、辞書を引き合いっこしながら会話したり、筆談したりと私のペースに合わせてくれるチームメイトがいました。チームのミーティングでは、「話せないけど、ヒアリングは頑張るぞ!」と臨んだ初めてミーィングで玉砕した経験から、キャプテンに必要最低限の内容を、単文と命令形で箇条書きにして下さいとお願いしました。また、車社会のアメリカ。イベントの移動は常に車です。この車の中が私の最大の英会話学校でした。何せ車の中では、私の会話の相手も私から逃げられませんから(笑)。なるべく車に一緒に乗せてもらい、辞書を駆使しながら話しました。そこから徐々に智子は英語が話せないだけで、みんなと一緒なんだという事が伝わっていったと思います。

2003年に東京ドームでチームが試合を行った事も大きな転換ポイントでした。少しですが、私の逆バーションをチームメイトが体験したのです。また、水を得た魚のように、すらすらと日本語でメディアに向かって話す私を見て驚き、チームメイトの中でも私への見方が変わったとも後に言われました。一年目のシーズンの終わりにはサイン会中心だったイベント参加から、より人とのコミュニケーションが求められるチャリティー活動も少しずつ任される機会が増えました。強く印象に残っている活動の一つは、重症患者を扱う軍事病院に慰問に行った時のことです。戦争で重症をおい、体も言葉も不自由になった方が私に一生懸命話しかけようとしてくれました。言葉にはなっていなかったけれど、彼の熱い思いは伝わってきました。生死をかけて戦ってきた彼の方が何千倍も大変ですが、言葉の問題や自分というアイデンティティーが無くなる事のつらさ、そこから立ち直るための相当な努力などを少し分かり合えた気がしました。お互い片言で数分の会話だったけれど、お互いの伝えたいことを伝えられた事が嬉しくて、彼の目にはうっすらと光る物がありました。病室を出た後、私も胸がいっぱいになりました。こういう気持ちは、言葉の壁に戸惑いながら道のないところを歩いてきた経験が無ければ経験できなかっただろうと思います。そしたまた、この経験はフィールド以外でチアリーダーとして人に与えられるインパクトの大きさに気づき、その魅力に引き込まれた瞬間でした。

この頃から、NFLというアメリカ人の心のど真ん中にある文化の象徴で、花形だと言われるチアリーダー界で、外国人、特別という存在ではなく、一人の人間として、小島智子として一番上までいってみたいという新たなゴールを描き始めました。「転校生」という枠がとれるまでに数年かかり、アメリカ人をまとめるキャプテンに到達するには予想以上の時間がかかったけれど、ユニークという言葉が褒め言葉となり、アメリカ南部のホスピタリティーと陽気なラテン文化が程よくマッチしたタンパにとけ込もうとする私の努力を理解し、両手を大きく広げて受け止めてくれたチームメイトに出会えた事が今でも一番の驚きであり、私の宝物となりました。

 

 

日本から遠く離れた、決して大都市とは言えないタンパ。もちろん日本文化がそこまで浸透していることはなく、そこは地理上、南米の文化が色濃く反映されている都市です。

 

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